会社は誰のものか:村上世彰氏逮捕に思う

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 9

村上ファンドの村上世彰氏がインサイダー取引容疑で逮捕されました。村上氏は、自身がこれほどまでに世論から大きな反発を買っていることを今のいままで感じてはいなかったのではないでしょうか。そのなによりの証拠が逮捕直前に記者会見を行ったということです。彼には、自分の行為の彼なりの正当性を、雄弁に筋道たてて説明すれば、世論はきっと理解してくれるという思いこみがあったのだろうと感じました。

村上世彰氏の「会社は株主のもの」という考え方は、米国流の発想、そして日本の法律の字面だけを読めば、なにも問題のないものでしょう。欧米では、とひとくくりにいうと本質を誤りますし、仏独ではずいぶんとようすが違うようですが、少なくとも英米においては、「会社は株主のもの」だと理解していいと思います。

我が国では、法律論からみればなにも問題がない行動が非難の嵐にさらされたり、逆に、法的にはまったく穴だらけなのに支持されるケースがあります。ひとことで言えば、古くは奈良の都の律令の時代から、法律を形作る輸入された「法理論」とこの国での実生活を貫く「生活原理」に基づく実感との間にくいちがいがあることが原因なのでしょう。日本人が持っている、西欧から輸入された法律体系に対する態度にはいわくいい難いものがあります。

さて、我が国では、土地を中心としたムラ型共同体と、それと平行して、武士団や現代の会社のような組織を中心としたイエ型共同体という、二つの共同体を形作る原理が、平行して存在してきました。イエ型組織は、平安中期に関東で発生して以来、着実に勢力をまし、武士の家、大名の領地、令外の官としての征夷大将軍が率いる幕府、明治以降は政府へと、イエ型原理は日本の組織原理のDNAとして広がり続けました。現代の日本の会社もイエ型組織の後継ぎです。

日本人にとって会社は共同体です。単に生活のための賃金を稼ぐための場所ではありません。日本人には、真偽は別としても、村上世彰氏が金にものをいわせて、会社という共同体を脅かしたと映ったのです。

優秀な通産官僚であった村上世彰氏の失敗の原因は、日本では、世論にとって法律とは、たかが一片の紙切れにすぎないことを理解していなかったことです。我々の社会の伝統や風習に裏書きされていない法律は、単なる呪文のようなもので、これ以上、無力なものはありません。

法律の字面を額面通りに解釈して、TOBをかけたり、経営陣に対して配当をひきあげるように求めることは、資本主義の原理からすればなんら問題がないことです。しかし、村上世彰氏の行動が、厳密な意味でインサイダー取引に当たるかどうかとはまったく関わりなく、仮にいかに合法的な行ないであっても、日本の社会の密教的な伝統からすれば、「カネで会社という共同体をゆするヤクザ」とうつってしまうことには彼は気がついていなかったのでしょう。

この事件は、「市場原理主義」的な行動が、日本の伝統をふまえた世論の反発を受けた形になっています。これはなにかの予兆でしょうか?伝統の逆襲がはじまったのでしょうか?果たしてその結果は我々にとってよいものでしょうか?この事件の真の意味は、時が熱狂と偏見をやわらげるまでは我々にはわからないのかもしれません。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする