昭和天皇を偲ぶ「昭和の日」

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ことしから4月29日が「昭和の日」となりました。これは、4月29日を「昭和の日」、5月4日を「みどりの日」とする改正祝日法が平成19(2007)年1月1日から施行されたことによるものです。

この「昭和の日」制定の趣旨は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」というもの。昭和の時代を少しは知るものとして、まずはお祝いしたいと思います。

私にとって、昭和が終わったという思いが強まったのは、昭和天皇の崩御の後しばらくして皇太后陛下も崩御されて、その追号が「香淳皇后」と、当然ながら耳慣れないお名前であった時でした。昭和という我々が生きた元号が、歴史の中の多くの元号と同じような静かな存在になってしまったという感情に襲われました。

昭和という時代を後の世の人々はどのようなものであると見なすのでしょうか?人それぞれに思いがあるでしょうが、もし私に問われたならば、母親が米軍機に機銃掃射を受けたり、父親がパナマ運河特攻に行きかけたりしたという我が家のパーソナルな歴史をぬきにしたとして、奈良時代からの(私が考える定義による)象徴天皇制の完成期だと答えるでしょう。

奈良時代末期、思想的な混乱を伴った政治的動乱の時期、藤原百川が、三世の王であった白壁王を皇位に付けて後の光仁天皇としたことによって、それまでの上古の皇室の在り方とそれ以降の皇室の在り方は根本的に変わったと私は考えています。

さらに説明を加えるならば、この変貌が決定的になったのが、承久の乱、光厳院以降の北朝の皇室の成立という二つの事件であると思います。ロシアの南下と、米国の西漸という巨大な外的ショックへの対応から、軍部が大日本帝国憲法の枠を踏み外したという事実はありましたが、現行憲法での象徴天皇という規定はこれまでの日本の歴史と整合的であると考えています。

光仁天皇に遡って象徴天皇制の淵源を求める発想は、あたかも2億5千万年前の体長3メートルで一見オオトカゲにしか見えないディメトロドンに人類の祖先をみるようなこじつけにも感じられるかもしれませんが、私の個人的な仮説です。

どちらにしても後の時代の評価がどうなるものであるのか、はっきりとはわかりませんが、猪武者のように歴史の教訓を無視するような動きは、昭和の日制定の趣旨とはあわないでしょうし、また、なによりも平和を重んじておられた昭和天皇ご自身のお考えにも背くものであろうと思っています。

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