「失われた10年」のデフレ不況をどう考えるのか

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マスコミ論調を見ていると、「『失われた10年』と形容されるこれまでの長年の不況の原因は、国際競争力が落ちていることが原因で生じたものだから、短期的な景気対策などに頼らずに、構造改革を進めなければ根本的な解決につながらない。さもなければ、多額の累積赤字が原因となって国債が暴落し、一昔前のラテンアメリカ諸国にみられる経済破綻に追い込まれてしまう。」といった論調が主流であったように思う。マスコミに多く登場する評論家の見立てもこのようなものであろう。

平成3(1991)年2月に平成景気がピークを迎え、いわゆるバブル崩壊が日本の経済を襲い、それから約10年にわたる景気の停滞が続いた。この「長期的」な経済の停滞はなにが原因であったのだろうか。特に、この間の日本経済に特徴的であったのは、同時期の他の先進国に例を見ない長期のデフレが続いたことである。このデフレをどう考えるべきなのか。

ここに二つの考え方がある。一方は、「何らかの構造的な要因から日本経済が競争力を失って潜在成長率が低下した」とする「構造改革派」と呼ばれる考え方である。冒頭に述べたマスコミやお茶の間にも名の通った評論家達の考え方は大部分がこの見方をとっている。むろんのこと小泉構造改革を唱えた政府与党は、実際の行動はともかくも発想としてはこの立場に立っている。野党もほとんどがこの立場に立っている。

もう一つの考え方は、「我が国政府日銀の経済政策の失敗によって、需要が落ち込んだために、潜在成長力を満たすだけの成長ができなかった」とする主張である。この主張は、特に金融政策での対策を主張する点で、広い意味での「リフレ政策(通貨拡張政策)派」と呼ぶことができる。我が国のマスコミなどでは少数意見である。

ところが、目を世界に向けると状況は一変する。世界の著名な経済学者で構造改革派に分類される経済学者は、少なくとも私の知るかぎりでは極めて少数である。例えば、市場原理を重視する点では構造改革と親和的なイメージを持たれがちなミルトン・フリードマンは、リフレ政策派の理論的支柱を作り上げた一人である。米国連銀(FRB)の総裁であるバーナンキも日本での講演で、日銀に対してリフレ政策を取るように丁重にしかし明確に促した。その他、ノーベル経済学賞受賞者である ポール・サミュエルソン、ジェームズ・トービン、ロバート・ソロー、ジョセフ・スティグリッツ、ロバート・ルーカスなども皆リフレ政策を支持している。

もちろん外国の一流学者が全員といっていいほどリフレ政策を支持しているからといってデフレ対策として、直ちにリフレ政策が構造改革政策よりも優れていると保証されるわけではない。我が国独自の経済的な事情などが関係してくる可能性もあるからである。しかし、私のみるところ、日本には日本的雇用、日本的系列関係などがあるもののそれらが直ちに構造改革を必要とするものであるかどうかについて即断することは難しい。デフレという現在の(一過性の)経済情勢に不適合だからといって、それなりに存在意義のある「構造」を捨て去ることが、長期的にみて我が国経済にとって得策かどうかについては、アングロサクソン型経済がもっとも合理的であると論証できないかぎり無意味ではないか。

構造改革派、リフレ政策派のそれぞれの最大公約数的な主張を見てみると、構造改革派は、政府の在り方や規制緩和、民間企業の不良債権問題、国の財政構造といった長期的な問題に目を向けている。その一方でリフレ政策派は、短期的な需要の落ち込みがデフレの原因だとしている。このようにそれぞれ長期的、短期的な政策であるため、理論的には、政府の取る政策の選択肢のなかで、リフレ政策と構造改革政策は必ずしも排他的なものではない。

デフレ対策を優先すべしとする論者は、長期のデフレの原因は、バブルつぶしを目的として急激に絞った通貨供給量が、そのまま拡張的政策に転換せずに放置されたことが原因であり、その中でも財政政策の有効性を主張する論者からは、それに加えて公的な需要不足も原因であるとしている。このため、対策としては、拡張的な通貨政策にインフレターゲット政策をあわせた金融政策や政府の積極的な財政出動を求めてきた。

一方で、デフレの原因が、金融セクターの不良債権や企業の競争力の低下が原因であるとする構造改革政策にたつ論者は、膨大な不良債権が原因となって、新規事業への信用仲介機能も果たせなくなっており、景気のボトルネックになっているとして、不良債権の最終処理を求めてきた。また、同時にそれまでの政府が行ってきた規制緩和や特殊法人改革の継続を求めた。

では、特に、平成8(1996)年からの政策として、どちらに重点を置くべきであったのか。経済政策として優先すべきは「デフレ対策」か、それとも「不良債権問題を含む構造改革」だったのか。

また、平成14(2002)年からの景気回復は、一体政府のどのような政策が原因で生まれたのか。政府与党の構造改革政策が実を結んだのか、それともそれ以外の要因によって生じたのか。

本来なら米国でのようにシンクタンクやBrookings Papers on Economic Activityなどのような政策論争をする場所で、両派に属する専門家が議論を戦わせればいいのであるが、日本にはそのような機会がほとんどない。

今回の長期にわたるデフレは、我が国にとって世界大恐慌以来70年ぶりのことであった。いま回復してきた景気の行方について多くの注目が集まっているが、本来はなぜ景気が回復したのかということが問われるべきである。しかし、そのような作業は少なくとも公開された場では行われていないように思われる。その理由は検討の過程で特定の組織の失策が明るみに出かねないという躊躇があるのであろう。

戦前の日本では、過去の戦史編纂において、特定の部隊の失策が記録されないことなどを目的として改ざんして編集していた。このようなことを繰り返してはならない。既に海外に政策のモデルを探してその模倣をすれば事足りていた時代は終わっている。論者の中には、戦前の昭和恐慌時の金解禁のいきさつを十分研究しておけばこのようにデフレが長引くことはなかったとするものもある。いずれにせよ現代の歴史的な経験はきちんと後世に残しておかなければならない。

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