会社法:「目的」がない法律

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ブルドックソースに対するスティールパートナーズの買収工作は、8月の最高裁の判断まで決着がもつれ込んだもののブルドックソース側の事後的な買収防衛策導入が、最終的に司法に認められました。

簡単に言えば、ポイズンピルという仕組みを使って、ブルドックソース側はスティールパートナーズに対し最終的には約23億円を支払ってTOB(敵対的買収)による買収を免れたのでした。ブルドックソースは、同時に弁護士事務所に約7億円の手数料を支払ったということですから、合計約30億円の支出です。(いったいソースを何本売れば元が取れるのでしょうか。)それだけお金を使えば、もちろん判決以前からみても株価は急落しています。

買収防衛策導入をめぐる裁判所の判断も、地裁、高裁、最高裁で理由付けがそれぞれ異なり、高裁はスティールパートナーズを「乱用的買収者」としたものの、最高裁ではそういった判断には踏み込みませんでした。結局、事後的な防衛策についてどのくらいであれば合法で、また、どういうことをすれば乱用的買収者なのかについても、その判断基準はあいまいなままです。

こういった最近の企業買収をめぐる混乱には、かなりの部分会社法などの法令が「未整備」なことが影響を与えているように思えます。「未整備」といいましたのは、いったい会社の行動を律しているこういった法律はなにを目的にして、どういう行為を禁止しているのか明らかではないことをさしています。

例えば、経済産業省は企業買収をめぐるガイドラインを発表していますが、実際の法廷での拘束力はほぼゼロだといわれています。効力ゼロのガイドラインというのは語義矛盾のような気もしますが弁護士さんからの評価はそうなっていますし、実際、今回の裁判所の判断でも問題にされたようなあとは見られません。

そもそも企業買収が行われる際の有力なツールとなるTOB(敵対的買収)という制度自体が、会社法で定められているものではなく、金融商品取引法によって定められているものだということもわれわれ素人には知られていない事実です。この金融商品取引法は、「投資家の保護に資することを目的と」したものにすぎず、企業のあり方について真っ向から取り組んだものではありません。

もっと驚くべきことには、会社法じたいが、会社の育成を目的にしたものではないのです。それどころか、会社法には法律の目的が一切記されていません。民法や商法あるいは憲法のような法令はカバーする範囲も広く、目的が記されていないのはわかりますが、なぜ商法の特別法である会社法に目的がかかれていないのでしょうか。その問いに答えてくれる解説書もなかなかないようです。

例えば、会社法の解説書のベストセラーである弥永真生筑波大学教授による「リーガルマインド会社法」には「会社法の必要性」という項目があります。

この本によりますと、

「会社法のスタートポイントは、会社をつくって経済活動を行わせることが国民経済上好ましいという価値判断である。すなわち、会社は、大規模な、リスクのある事業を行うことを可能にするもので、資本主義経済の発達にとって重要な役割を果たすものである。そこで法は、会社に法人格を与え、また会社に対する規制等を通じて、会社の健全な発達を図っている。」

と、きわめて短く言及しているだけです。それ以外の本ではあまり言及されていないのではないでしょうか。 会社法自体に目的が明確に定義されていないということは、どういう行為が会社法の目的に反することが理由で違法になり、どういう行為が合法であるのかも判らないということを意味します。

では、なぜ会社を法律の枠内に閉じこめて取り扱うことが難しいのか。それは、会社という組織が、法律によって規定された存在だというよりも、歴史的に作り上げられた存在だという性格が強いからではないのかと思うのです。

  《さて、我が国では、土地を中心としたムラ型共同体と、それと平行して、武士団や現代の会社のような組織を中心としたイエ型共同体という、二つの共同体を形作る原理が、平行して存在してきました。イエ型組織は、平安中期に関東で発生して以来、着実に勢力をまし、武士の家、大名の領地、令外の官としての征夷大将軍が率いる幕府、明治以降は政府へと、イエ型原理は日本の組織原理のDNAとして広がり続けました。現代の日本の会社もイエ型組織の後継ぎです。

日本人にとって会社は共同体です。単に生活のための賃金を稼ぐための場所ではありません。》
会社は誰のものか:村上世彰氏逮捕に思う

以前、このように書きました。 つまり、歴史的な存在であり、共同体である「会社」というものは、会社法はもちろんそれ以外の現存するどんな法律よりも先にこの世に生まれ、それがゆえに法律によって束縛されない何らかの部分を持っているのだろうと思います。まさに、その何らかの部分があるからこそ会社に関わる問題は、共同体の問題として人々の心を動かしますし、一片の法律で規制することが難しくなるのでしょう。

このようなことはまさに、ブルドックソースが買収防衛策の是非を(会社法の規定にはないにもかかわらず)株式総会で問うたときに、約88%の株主が、数十億円の損失に甘んじても海外の資本に対して買収防衛策導入に賛成したことからもよく判ります。

こういった会社の本質論を別にしても、敵対的買収のように、会社法自体では定義されていないことが原因で起きた動きに対しては会社法はまったく無力です。だからといって現実には敵対的買収が成立すれば会社はまったく別の株主、経営陣の手に落ちますから、法律の観点からもこのことを無視するわけにもいきません。

ではどうすればいいのでしょうか。細かい条文を変えることではなくて、歴史的な経緯や感情を踏まえて、会社法がなにを目的とすべきなのか、会社とは一体どのような存在なのかをきちんと明確に定義することではないでしょうか。

もちろんそう簡単ではありません。会社法は、経済産業省と法務省の所管で、金融商品取引法は金融庁の所管です。こうしたあくまでも行政の問題、つまり縦割りのかべにぶつかるというつまらないこともありますが、近年の日本では歴史を踏まえて制度を作ったり、解釈したりすることに極めて臆病で、だからこそ不慣れな印象があります。

あるいはこの問題は、老舗といわれるような会社が海外資本に買収されかかって、火のついたような大騒ぎになるまでは放置され続けてしまうのかもしれません。本当はそれでは遅すぎるのですが。

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