善光寺でチベット侵略の犠牲者追悼法要

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7年に一度の御開帳の中、全国から大勢の参拝客を迎えている善光寺で、1950年から続く中華人民共和国のチベット侵略でこれまでに犠牲となったチベット人と中国人を追悼する法要が開かれました。「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」などの主催で、キャンドルを灯し平和を祈って手を合わせるといった形で行われたそうです。

善光寺は、昨年の北京オリンピックの日本での聖火リレーの出発地を辞退するという勇断を下しましたが、私は出発地点として善光寺が選ばれたと聞いたとき大きな違和感を感じました。なぜなら、善光寺は日本に数あるお寺の中でも仏教迫害が建立のきっかけになったおそらく唯一の寺であり、そのような由来を持つ寺が中華人民共和国のような現在でも宗教弾圧を続ける政府による国威発揚の催しにかかわることは、とてもふさわしいとは考えられなかった、冗談ではなく、本当にご本尊に叱られてしまうのではないかと思ったからです。

我が国に仏教が伝来してしばらくは思想の大混乱時代が続きました。善光寺のご本尊は、百済から仏教伝来とともにきた阿弥陀三尊像であり、仏教受容派である蘇我氏がその屋敷に安置し、向原寺として供養していたものを、排仏派である物部氏が屋敷を襲い、難波の堀に捨てたものであるとされます。その仏像を後年、本田善光という人が、堀の中から仏像の呼ぶ声を聞いて拾ったということです。

たまたま仏像をひろうという巡り合わせにあわなければ誰も覚えていなかったであろう平凡な田舎の男がみつけたというところもなんだか意味がある気がします。

なお、ご本尊を善光とともに拾った善光の息子である善佐は、後に一時死にかけ、阿弥陀如来の御利益により生き返るのですが、生き返るまでにあの世を見学するなかで、地獄に堕ちてきた皇極(斉明)天皇を見ました。そして、地獄の鬼から、「天皇でも悪行をすると地獄へ落ちるのだ」と説明されたのだそうです。こういう発想は後の太平記などの思想のはしりなのでしょうか。

ご存じのように太平記には、後醍醐天皇も楠木正成も、天皇だから、善玉だから必ず極楽にいくという発想はありません。よく考えてみれば、ニヒリズムもここに極まれり、といった思想です。でもそういう思想こそが頭でっかちなイデオロギーに対する中和剤になるのではないでしょうか。

いろいろと考えてみると、宗派を問わないという点といい、なんだか善光寺の存在そのものが日本的な精神のあり方と密接に関係がある気がします。

《「(出発式会場の)辞退は後悔していない。違う形にはなったが、平和を祈るメッセージは発せられた」とさっぱりした表情。辞退の返礼としてダライ・ラマ14世から贈られた仏像は一般公開され、参拝者たちを見守っている。》
(北京五輪聖火リレーから1年 平和、人権に思いさまざま)

この善光寺の若麻績信昭寺務総長の発言はとても頼もしく、日本的な心のあり方の健全さの証明に思えます。

こういった事柄をみるにつけなんだか善光寺にお参りにいきたくなってきました。

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