昨年の12月に貸金業法が改正になり、その結果、消費者金融(いわゆる「サラ金」。ただし私はこの表現は差別的なので嫌いです。)をはじめとする貸金業者の貸出金利が徐々に下がってきました。同時に、低い金利でも採算が合うように、融資の審査基準が厳しくなり、以前の半分以下の申込者にしか貸出が行われなくなったようです。もちろん、これらの動きは、貸出を行う企業の判断として当然のことで、批判すべきことではありません。
私は、もともと貸金業全体の上限金利引き下げには反対です。その理由は、貸出金利は、いわばお金を貸し出すことに対する価格のようなもので、これを法律でむりやり引き下げるということは、いわば一般の商品に価格統制を行うようなもので望ましくないからです。この件でいえば、融資を申し込んでも、法律で無理矢理引き下げられた金利で貸し出すためには、業者からみてリスクがありすぎて断られる人が多くなるからでした。このあたりについては、「貸金業の上限金利引き下げに疑問あり」をお読みください。
この意見を昨年の5月にブログに書いた当時は、すぐに私に対する批判が殺到し、「サラ金の犬」、「非国民」等々の非難を浴びました。私は気にもとめませんでしたが、客観的にみればまさに炎上という状態だったのかもしれません。(その後、スパム対策でブログを換えたので、当時の模様は残念ながら残っていません。)当時、世間には、上限金利を引き下げれば多重債務問題も解決するといった論理的根拠に乏しい情緒的議論が横行し、上限金利の引き下げに反対するものはほとんどおりませんでした。しかしその後をみれば、当時の私の懸念があたってしまったようです。
《昨年12月の貸金業規制法改正で、貸金業者の金利引き下げが進む一方で、福岡県消費生活センターには多重債務者からの相談が逆に増えている。今年4~7月で469件にのぼり、過去最多だった昨年度(1153件)を2割ほど上回るペース。(中略)県によると、多重債務者からの相談は「借金苦」を訴える内容が大半で、「これまで借りていた大手業者から融資を断られ、ヤミ金に手を出した」という事例が増えている。》この他にも、融資の審査厳格化が原因で倒産件数が増えたのではないかといった報道は多数あります。
(貸金大手金利下げたらヤミ金相談増加…“灰色”撤廃、審査厳格化で: YOMIURI ONLINE(読売新聞))
やはり、貸出の上限金利の引き下げは行うべきではありませんでした。結局、合法的な業者からの借り入れができなかった人々は、倒産する、あるいは、ヤミ金に手を出すことになってしまいます。この責任はもちろんこの議論を推し進めた人々にあります。
ただし、これも以前も書いたことですが、
《問題は29.2%という金利自体ではなく、根保証契約を十分に説明せず行ったりするという契約のやり方、あるいは暴力的な取り立てのやり方ではないでしょうか?》という点や、特に、消費者金融業界については、
(貸金業の上限金利引き下げに疑問あり)
《多重債務などをさけるためにはやはり消費者に対する啓蒙が必要だということです。もう一つは、最近、問題となった取り立て方法です。そもそも暴力的な取り立てなどがあるから、今回のコメントにあるように消費者金融業界全体に対する世論が厳しくなるのは当然です。この点に関しては、直ちにあらためる必要があります。》といった点についても、一切考えは変わっていないことをつけくわえておきます。
(消費者金融の上限金利の問題再考)
諸外国の例を見れば上限金利自体がない国もあります。取引の安全性を高めるために、とんでもない高金利を禁止することには賛成ですが、常識的な範囲では、どのくらいの金利を設定すべきかについては、市場に任せるべきでしょう。逆に、むりやり設定すれば、今回のように利用者か業者かのどちらか、あるいは両方にしわ寄せがきます。
このような「自由放任的」な政策を取った場合、それ以外の部分、例えば、単利と複利の違いを理解しているのかなど借り手がきちんと契約の内容を理解できるように説明しているのか、取立てが社会的常識を越えたものにならないかどうかなどについての法律の規制は必要です。どのような結論を出すにしても、じっくりとした考えに基づかずに、今回の改正にみられたような安直なヒューマニズムにもとづく発想は、結局社会の弱者にしわ寄せをもたらします。
現在、貸金業界の中には、顧客である利用者にたいする金融知識の啓蒙などについてきちんとした取り組みを計画している業者もあるようです。単にお金を貸し出して、後は取り立てるだけの業者は業者間の競争に負け、きちんとしたアフターケアを行う業者が生き残るのではないか、そのように期待しています。その意味では、少なくとも業界にとっては試練ではあっても、今後の優勝劣敗の市場メカニズムに期待できるのではないかと思っています。また同時に、消費者側の金融知識を増すことを抜きにして多重債務への意味ある取り組みは難しいのではないかと思っています。






