先日の金融における「現代の病理」のエントリーに関してですが、正直いってなにもかも「病理」と呼んでしまう一部の方々の発想にはついていけません。市場(マーケットメカニズム)は、大変役立つ道具です。しかし、道具であるからには使い方を間違えれば弊害があることは当然です。その長所短所をよくわきまえることが必要です。そこで、今回のエントリーは、このような反市場主義に対して、「ちょっと違うんじゃないですかね」とやんわりと反論するために、見方を変えて、江戸時代にも、先物取引市場や御家人株の売買など、金融にかかわる「病理」が存在したことを書いたものです。もちろん例によって厳密なものではありません。
近代的な先物取引機能を持った、世界初の整備された先物取引市場が、堂島米会所である。
この堂島米会所は、享保15(1730)年大阪(当時は大坂)に開設されたものであった。この大阪は、全国の余剰米が取引される場所であり、関西は銀本位制経済圏であったため、銀と米の取引市場が成立した。堂島米会所の先物市場では、米の所有権を示す米切手が売買されており、現物取引、先物取引ともに行われていた。
当時、全国での米の価格差は生産地である地方と、とりわけ消費都市であった江戸との間では5倍から8倍ほどあったといわれているが、この市場では、米の現物の取引をせずに差金による決済を行う消合所、取引を行う寄場、取引所を整備監督する会所が完備されており、敷銀(証拠金)を供出することによってその百倍のレバレッジを効かせた取引が可能となる近代的なものであった。
これは、徳川吉宗による享保の改革で米価の安定に腐心した幕府の政策の一環として設置・公認されたものである。実際に、どの程度米価の安定に寄与したのかについては詳細な検証に譲らなければならないが、明治政府によって解体されるまで繁栄したことから、市場参加者にとっては有用な仕組みであったものと思われる。
また、江戸時代には、旗本・御家人などの「株」も売買の対象となっていた。(ただし実際には、持参金つきの養子縁組の契約書が残っている例はあるが、公的な効力のある株券自体があるわけではない。現代語でいえば「株」というのは「権利」とするのが適当だろうと思われる。)
もちろん、徳川家康が松平元康と名乗っていた元亀天正の昔から、旗本・御家人の「株」売買が存在したわけではない。これは幕藩体制が確立した後に生まれた抱入(かかえいれ)という一代限りの下級の御家人として召抱えられる家に養子に入る権利が主として売買されていたのである。
その売買の相場は、俗に「与力千両、御徒五百両、同心ニ百両」といわれたという。著名な幕臣では勝海舟、川路聖謨なども先祖が株を購入して御家人となっている。これらは、もちろん単なる商品として流通していたのではなく、旗本・御家人が、当時の貸金業である札差から、高い場合には年利40%にのぼる金利で借金をし、自分の俸禄や米切手などとともに抵当として手放したケースが多かったと考えられる。また、場合によっては単一の旗本御家人が複数の株を持っていることもあったらしい。
また、旗本御家人だけでなく、より大きな大名家においても経済的な状況は同じであり、有力商人から借金(大名貸)をし、返済が不可能になった場合、天保期の長州藩などの大藩においてはToo big to failであるとして債務の実質的踏み倒しが行われたが、それ以外においては、資金調達の一環として、豪農や町人に対して名字帯刀を許される郷士の「株」が販売された。(下関市長府にいた私の祖先も、庄屋的な役割を果たし、また味噌を販売していたいわゆる豪農であり、同時に郷士だったが、このような経緯で郷士となったのだろうかと考えている。)
また、この大名の中には、商人への借金返済のために、飢饉に苦しむ自領から無理やり大阪に米を輸送した結果、飢饉に加えて農村がさらに荒廃した例もあったといわれる。イギリス植民地統治下のインドで飢饉が生じたにもかかわらず依然として食料の輸出が行われたという有名なエピソードに酷似する。はたしてこのようなことが一般的なことであったかは疑問であるが、この例は米会所のデメリットの考えられる一例としては上げられるであろう。
旗本御家人株の売買は、先ほどの勝海舟などの例からも明らかなように、有能な人材登用のルートとしてきわめて有効であり、「株」の売買が頻繁に行われたことは、階層が固定されていない江戸時代の階級制度のあり方を支える制度となったと考えられる。
金融取引が原因で、社会に「悪影響」が及ぼされるという意味では、江戸時代は、現物の取引を伴わない先物市場が繁栄したことや、幕府の役職につく権利が売買されるなど、現代にも劣らない「金融の病理」がはびこった時代であった。
しかし、本当に堂島米会所や旗本御家人株の売買は否定されるべきものであろうか。
武士階級にとっては、このような金融的な現象は嘆かれるべきものであったことは容易に想像がつく。戦国末期から徐々にその在地性を失い、その代わりに米による俸給を受け取ることになった武士階級は、江戸時代を通じてその経済的地位が継続的に低下していった。彼らの観点からは、米会所で商人が幅を利かせ、旗本御家人株の売買が横行する社会は否定すべきものであったろうが、我々までもが彼らと同じ観点からのみ江戸時代を評価すべきではないであろう。
米の価格安定や、支配階級に町人から参加する道が開かれたことは日本全体からすれば大いに歓迎すべきことである。これら堂島米会所の存在や旗本御家人株の売買は、マーケットメカニズムを利用して、新たな制度が自発的に生まれた、いわば近代への胎動とでも表現すべきものであったのであって、いたずらに保守的な視点(=武士階級の視点)から批判すべきではない。
とすれば、ひるがえって、現代に生きる我々も、マーケットメカニズムを利用するいわゆる「マネーゲーム」にかかわることがらをことさらに取り上げて「金融の病理」などと呼んで忌避すべきかどうか、観点を異にする後世の人々がどう考えるであろうかということを念頭において、もう少し考えてみても良いのではないか。






