⇒李登輝前総統、靖国神社参拝へもご覧ください李登輝前・台湾総統が5月30日から6月9日までの日程で観光のため来日されます。講演会も数カ所で開催されるそうです。前回の訪日の帰途に、「次は元気であれば、奥の細道を全部歩きたい」と発言していたとおり、今回は、奥の細道を歩きます。もちろん歓迎したいです。
私は台湾を一度だけ訪れたことがあります。それは、李登輝さんが総統に就任されてからわずか2ヶ月後の昭和63(1988)年3月、国民党政府による戒厳令が前年の7月15日に解除されてから1年も経たない時のことでした。
当時、私は大学4年で、仲間と一緒に個人的に教えを受けていた作家の児島襄先生を通じて、東京にある当時の亜東関係協会(現・台北駐日経済文化代表処)に口をきいてもらい政情視察と称して訪問しました。今から思えば李登輝前と後を比較するために絶好の経験をさせてもらいました。
結局実現しませんでしたが、大陸から数キロしか離れていない最前線の金門馬祖に行きたいとか、結成から1年半しか経っておらず、まだ非合法政党だった民進党に会わせてほしいとか、いろいろ無理を言わせてもらいましたが、日本語が上手な教育部(日本でいう文部省)の方が通訳兼お目付役について、役所、台湾大学、師範大学(これら大学はすべて日本統治下に作られました。)などを訪問しました。
当時は蒋介石の息子の蒋経国総統死去直後でもあり、かなり権威主義的な体制が残ってはいたものの、市民の生活は自由な感じでした。ただし、民進党については、政府のお目付の前では話すこともはばかられるという様子ではありました。政府で貧富の差を表すジニ係数を尋ねて統計がないと答えられて大いに疑問に思ったことや、当時の国際放送局であった「自由中国の声」を訪問して、当時の教科書問題について議論したことなど台湾の言論の状況を知る上で興味深い体験もしました。
昭和63(1988)年当時、台湾はめざましい経済発展をはじめたばかりで、その成長がそのまま続くのかあるいはすぐに失速してしまうのかが私だけでなく日本中の関心の的でした。当時、私は、見て回った結果「現代の資本主義は、中央集権体制とは相容れない。そして中国文明で中央集権的でなかった体制はなかった。蒋介石以来の権威主義的な国民党体制はスーパーマンでも現れないかぎり崩れるわけもないから台湾の経済的発展は一時的なもの」と予想しました。判断についてはかなり自信がありましたが、その予想は李登輝というスーパーマンが現れたことによりもろくも崩れたことは皆さんもよくご存じのことです。(ちなみに、中華人民共和国の経済体制についてはインドと比較したことがありますのでよろしかったらご覧ください。)
直接はお会いしたことはありませんが、李登輝総統が英語をしゃべるところを私がイギリスにいたときにたまたまテレビで見たことがあります。日本統治下で英語を習得されたので、彼の英語はまるで日本のおじいさんの英語の先生のしゃべるような、ジャパニーズアクセントの発音でした。若い世代の台湾人の英語の発音とはまったく違っており、友人の台湾人も「アー」とか「オー」とか母音が強い発音のまねをして笑っていたことが強く印象に残っています。
李登輝さんは、大正12年生まれの84歳。とはいえ、新たな政治勢力を糾合して再び台風の目となるのでしょう。蒋介石の国民党の治世下で、体制につぶされることなく、同時に本省人としてのアイデンティティも保ちつつ出世するという現代の日本の政治家とは比較にならない修羅場をくぐってきた李登輝前総統です。大陸と日本という二つの大きな勢力の狭間で翻弄されてきた台湾の歴史をそのまま具現化したような人だと思います。
ナショナルアイデンティティの問題を大変に重要視しておられますが、確かに、日本統治世代と留学といえば米国に行く世代の間、より一層問題なのは、蒋介石とともに戦後台湾にやってきた外省人と日本統治時代から台湾に住んでいる本省人、そして先住民族である山地同胞(いわゆる高砂族)と呼ばれる台湾の原住民の間にいかに一体感のある国造りを進めていけるのか、我々日本人には想像もつかない大問題です。まさにこの問題が台湾の今後の成長を左右していくことになるでしょうし、外部の勢力からの攪乱はこの点につけ込んできています。バランス感覚に優れた李登輝前総統自身もおそらく今後何十年にもわたって、歴史、経済、政治、さまざまな分野の研究者の関心を引く存在となるのでしょう。
今回の訪日は、中華人民共和国が戦略的に猫をかぶっておとなしくしている時期をねらって、以前のビザ騒動のような「迷惑」を日本政府にかけずに、日本の国民に対して直接語りかけるという目的もあるのでしょう。さすが大勢力間の遊泳方法についてはバランス感覚に長けたものがあります。日本の政治家にはまねができません。
「22歳まで日本人だった」李登輝さん、誰にはばかって政治的発言を控える必要もありません。また、我らが三重県(旧・伊賀国上野)出身の松尾芭蕉ゆかりの奥の細道を曾文惠夫人とともにどうか十分堪能なさってください。





