今日は、日頃の疑問について書きたいと思います。戦後日本の外交や安全保障政策を論ずる時に、しばしば「憲法の制約があるために、望ましい政策が採れなかった。」という表現が使われます。
本当にそうでしょうか。憲法の制約は外交や安全保障問題に主に悪影響をもたらしているとの主張ですが、では、増元照明さんが批判する拉致問題への取り組みの遅れ、これには憲法の制約があったのでしょうか。また、中華人民共和国に対しての位負け外交に、憲法が何らかの形で関係しているのでしょうか?これは、答は明らかにノーではないでしょうか。日米安保の問題も突き詰めれば対中華人民共和国、対北朝鮮の問題が中心であるため、これら以上に我が国の外交・安全保障で重要な問題は他にはないことは疑いの余地はありません。
では、これら失態の原因は憲法ではないとすればなんでしょうか。もちろん論者によってさまざまな回答が戻ってくると思いますが、私は、我々に事件の現場を踏まえる思考方法が欠けていた、つまりリアリズムの欠如が原因だと考えます。あるいは、政府が日常のルーチンワークに流され、国の政策の基本的方針といった重要なことも、政府内の一部局の判断に任せてしまった、というよりも本来、政治が行うべき判断の責任を押しつけてしまったことに失敗の原因があるのでしょう。
これらのことはすべて戦前の軍部の独走にも見られた、いわば我々の宿痾とでもいうべきものです。兵站も他国の動勢も考えずに突っ走る軍部の独走も、そしてそれを止めることができなかったのも大日本帝国憲法だけが原因ではありません。
軍隊といえども官僚機構です。軍部の暴走を止めたければ、帝国議会で軍部関連予算をすべて否決すればそれでお仕舞いになった可能性は大いにあります。「統帥権干犯」などといっても予算が成立しなければなにもできません。それをしなかった当時の国会議員はなにを恐れていたのでしょう。五・一五事件のようなテロでしょうか、しかし国会議員全員をテロの対象にするということは実際には不可能でしょう。あるいはマスコミや世論の空気を気に掛けていたのでしょうか。それならばマスコミや世論も幇助したということでしょう。マスコミもまさか大日本帝国憲法に縛られていたということもありますまい。(もちろん国会議員自体がこのような軍部の動きに賛成していたならば万事休すですが。)
以上、例としてあげるために、あまりに事実関係を簡略化してしまったかもしれませんが、いずれにしても戦前も戦後も、右も左もリアリズムの欠如という体質はわずかも変わっておりません。このことは私も含めて心しなければならないことであると思っています。
一般的に言って、「憲法」というものは、魔法の呪文ではありません。政治的判断ミスを犯すのは「人間」です。判断ミスや怠惰が原因のできごとを何でもかんでも現行憲法の責任にしてしまう発想法は、私には原始時代のアニミズム並みの呪術的な発想としか思えません。
追伸 愛知県長久手町での、警察庁特殊部隊(SAT)の隊員、愛知県警機動隊の林一歩巡査部長の殉職のニュースを聞きました。前途ある青年であったことに加えて、事件の性質を考えると大変に残念なことです。このようなことが二度と起きないよう、また、林巡査部長のご冥福を心からお祈りいたします。





