経済同友会幹事の品川正治さんによる憲法9条講演会の内容に関する金子のメモの第二弾です。
・捕虜収容所では、日本人将兵同志の、二つのグループの間に、時には血の雨が降るような激しい争いがあった。一つは、陸軍士官学校出身や司令部付将校中心の「敗戦派」と呼ばれるグループである。これは、226事件の青年将校に見られるように日本政府を糾弾する動きをしていた。つまり、8月15日を終戦と呼び、敗戦と呼ばない日本政府は卑怯であるとする。そして、国力を回復して米英とまた戦うべきだと主張していた。そして、指を切って流れ出る血で署名をするようなことをしていた。
・それに対して、私(品川正治さん)達のような戦闘部隊を中心としたメンバーはその主張に大反対した。私(品川正治さん)は、「これからは二度と戦争しないという誓いしかない。一体どの面下げて中国などに顔をむけるのか。」という考えだった。そこで、敗戦派からは、「終戦派」と呼ばれた。
・その後、1946年5月に山陰の仙崎に復員。5月1日に上陸した。第11回メーデーの日だった。実は、その二日前に到着していたが、港の施設の制約で2日遅れた。山陰の部隊(鳥取)だったので距離が近いということで待たされたのであろう。そこで古新聞が配られた。ぼろぼろで破れたやつであったが、周辺の民家から集めてきたのであろうものであった。配られた趣旨は、「新憲法草案が発表されているので、その内容を念頭に置いておけ」という意味であった。新憲法草案を見て全員泣いた。交戦権の否認が憲法で規定されているというのはこれ以上の保障はない。死んでいった戦友や、アジアに対する贖罪もできると泣いた。これで死なずにすむ、生涯が送れるとおもった。
・ただ日本国憲法を論議する際には、いろいろ難しい問題がある。私が戦争で何をつかんだかというと、「二度と戦争をしない」ということだけでなくもっと大きな問題も掴んだ。それは、「国家が起こした戦争を前提として、それの中で国民がどう生きるか」という問題意識はあやまっているということである。つまり、「戦争を起こすのも人間であり、止めることができるのも人間である。」ということである。戦争は天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか。おまえ(品川正治さん)自身は止める側なのか起こす側なのかと、問い続けていく。この問いは私(品川正治さん)の人生の座標軸として続いている。
・経済活動をしていてもその感覚が抜けない。教育、福祉、環境問題をマーケットに任すという論議が起きている。これには断固反対である。人間が努力して解決していくべき問題をマーケットが解決するということには反対である。まして日本は国民主権の国であり、国民一人一人が主権者であり、皆さんが認めない限り戦争ができる国にすることはありえないはずである。これが終戦後60年間、私(品川正治さん)が考えてきたことであった。これは戦争体験を経て身に付いた考えである。
・今、憲法9条を守る運動があるが、その中でも、戦争体験のある人は国民のごく少数。若い人の心をどうとらえるのか、理解してもらうのかというのも大きな問題。戦争体験だけではなく、誰もが理解できる言葉でどう表現すればいいのか。私(品川正治さん)の一人息子夫婦は既になくなり、孫娘を一人で育ててきた。昨年彼女は大学に進んだ。私(品川正治さん)のよい話し相手で、彼女にどう説明すればよいかを考えてきた。
・「戦争の3つの特徴」について、孫娘に話す内容である。
1.「戦争は価値観を転倒させてしまう」
勝つこと自体が上になり、自由とか人権とかといった価値は後回しになってしまう。命がもっとも大きな価値だろうが、勝つためには命も犠牲にしてしまう。これにあなたは耐えることができるか?
2.「戦争はすべてを動員する」
学問も全て動員されてしまう。医学、生物学、工学といった理系の学問も動員され、兵器が考案され、生産されるのが動員の結果。また、人文科学も同じく動員される。日本では「神国史観」という歴史観以外認められなかった。
ゲーテ、カント、ベートーベンを生んだドイツ民族が、ホロコーストと称してユダヤ人を根絶やしにしようとした。決して、ナチだけがやったのではなく、ドイツ国民の支持がなければ数百万人も虐殺できるものではない。国民が支持していたのだ。戦争とはそういうものだ。
3.「戦争指導部が国家の権力を握る」
三権分立などの日常の国家の在り方が否定され軍部が権力を握ることになる。
続く
品川正治さんの講演について
経済同友会幹事の品川正治さんによる憲法9条講演会
経済同友会幹事品川正治さん憲法講演会内容1
経済同友会幹事品川正治さん憲法講演会内容2
経済同友会幹事品川正治さん憲法講演会内容3





