第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年8月9日、ソ連は、当時有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄して、満洲、朝鮮半島、千島に軍事侵攻しました。これは、当時は秘密協定であったソ米英によるヤルタ協定に基づくものでした。
満洲においては、8月19日に停戦交渉に入ってすべての戦闘が終わり、停戦協定が結ばれました。協定に基づき、日本軍はソ連軍によって武装解除されました。ところが、武装解除後の在留民間人保護について、ソ連は停戦協定を守ろうともせず、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性がハバロフスクに集められました。そして不幸なことに、彼らは牛馬のごとく貨車に詰め込まれ、シベリア各地の収容所で抑留されてしまいました。
当時、ソ連が不当に占領した満洲、樺太、千島には、約272万6千人の日本人がいたそうですが、このうち107万人が終戦後シベリア抑留などによって過酷な環境下で強制労働に従事させられました。これが、世にいうシベリア抑留です。
抑留中は、ソ連による抑留者の虐待は日常茶飯事。もちろんこれは捕虜の扱いに関する戦時国際法違反ですが、一切罪には問われませんでした。ここにも先の大戦の戦後処理のアンフェアさが現れています。
同時に洗脳教育も行われ、日本に対する共産主義の浸透もたくらまれました。その結果、日本人抑留者の中でも、共産主義的思想の持ち主であったり、隠れ共産党員だったシベリア抑留者が、ソ連当局と通じて権力を振るい、「民主化」と称して同じ日本人抑留者に対してリンチや陰湿な虐待も行われたといわれます。
シベリア抑留者の死者は、厚生省によればその一割、別の調査によれば37万4041人にのぼります。いまだにシベリアの永久凍土の下にご遺骨が眠っています。今となってはその完全な回収はおそらく不可能だろうと思われます。
また、私もはじめて知ったのですが、戦時国際法上、捕虜として働いた賃金は、帰国時に証明書を持ち帰れば、その捕虜の所属国が支払うことになってるそうです。しかし、ソ連はシベリア抑留の犠牲者に労働証明書を発行しませんでした。日ソ中立条約を一方的に破棄し、国際法を無視してシベリアに大勢抑留したような国家が、労働証明書などを発行するわけがありません。ところが、日本政府は労働証明書がないことを理由に、当然支払われるべき賃金を支払わなかったのでした。
これに対して、シベリア抑留者により結成された全国抑留者補償協議会は、日本政府に対し、抑留中の強制労働に対する賃金の支払いを要求していました。しかし残念なことに、12月15日の参議院本会議で、シベリア抑留者らの慰労事業をしてきた独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を解散する与党提出法案が、可決、成立してしまいました。
この法律は、昭和63(1988)年に発足させた「平和祈念事業特別基金」を平成22(2010)年までに廃止し、その資本金400億円の半額を使い、シベリア抑留者に10万円相当の旅行券を配るものです。400億円の残る半分は国庫に返納するというのです。金額的にもまったく不十分なことはいうまでもないことですが、その上に、政府は、以前から法的な補償義務を否定し続けているため、この旅行券を「補償ではなく慰労金や慰労品」という位置付けをしているのです。ある与党国会議員によるとこれが、補償問題の最終解決だということです。
なんという冷たい政府か。10万円の旅行券?どういう神経でこういう発想が出てくるのだろうか。シベリア抑留者は、もうすでに80歳以上です。旅行券でどこへ行けというのか?問題になるのは、金額の多寡ではないでしょう。「ありがとうございました。あなた達だけにつらい思いをさせてすみませんでした。」という心が、シベリア抑留の生存者に対しても、亡くなった方々に対しても必要なのではないでしょうか。これでは、抑留の犠牲者も安らかに眠ることはできません。
私の叔父もシベリア抑留経験者でした。しかし、亡くなるまで肉親に対しても一切抑留中のことについて語りませんでした。語るにも語ることができないほどのすさまじい経験だったのだろうと思います。いつも思うのですが、政治に一番大切なことは鎮魂だと考えています。今の日本の繁栄の陰には大勢の犠牲者があることを忘れてはならないと思います。政治関連のブログでもまったくといってもいいほど話題になっていませんが、今回の「平和祈念事業特別基金」を解散する与党提出法案の成立は残念でたまりません。
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