金子洋一が、なぜ『日本人の心のふるさと』といわれる伊勢神宮のお膝元の三重5区で政治活動を開始したのか。このことを説明するためにはまず、結婚前に実家に遊びに来たときに食べた寿司とウナギの出前の話からはじめなければなりません。
それは平成12(2000)年のころですが、伊勢市にある実家では私が遊びに来るたびに歓迎をしてくれていました。昼は、伊勢神宮に参宮し、その近くのお店で食事をすることが常でしたが、晩には出前を取ってくれました。大変おいしかったのですが、なぜかいつも同じ寿司屋さんとウナギ屋さんの出前ばかりだったことにそのうち気がつきました。ある時に、なぜなのか母に尋ねましたところ、「昔は出前をしてくれるお店はたくさんあったのに、最近はお店が次々に不況でつぶれて、近くにはもうあまり出前をしてくれる店がなくなってしまった。」という返事でした。その時、私にはあまりピンとこなかったのですが、漠然と地元の不況の厳しさは感じ取ることができました。
ところがしばらくたつうちに、地元の不況の厳しさはなにも飲食業だけに限られたものではなかったことに気がつきました。あえていえばすべての業界が不況にあえいでいたのです。商店街は昼間からシャッターがおりた店が目立ちましたし、駅前の大型店が撤退した跡地の活用もされていませんでした。昔は、何十軒もの旅館があった観光業も昔と比較すれば大きく落ち込んでしまっていました。地元で生まれた若者にとっても魅力が少ない街になってしまって、働き先がないこともあって学校を卒業すると多くの若者は県外に就職してしまっていたのでした。
私の政策にも取り上げましたが、三重5区には伊勢神宮や熊野古道といった文化遺産、そして国立公園の自然や、海の幸山の幸など多彩な食材に恵まれています。地元の有志もNPOなどの活動を通じていろいろな町おこしの努力をしておられます。ところが、これまではそういった努力がかならずしも大きな成果に結びついていませんでした。三重5区が、もっと住み良く豊かになれる実力を持ちながら、目に見える結果が出ていないということは、三重5区の政治が機能していないことが原因なのではないか、そして新たな経済政策をとればもっといい方向に向けられるのではないか、そういう考えが私の第一の思いだったのです。






